2011年05月23日

芸術祭が残すもの

21日は、文化プラザで行われた「芸術祭をつくろう!会議」に出席してきました。

市民有志で始まり今年で19回目を迎えた葉山芸術祭。
今年は逗子市からも数多くの出展がありました。
15日に終わった今年の葉山芸術祭の統括を中心に、逗子、葉山の芸術祭や文化イベントに関わっている方達だけでなく、金沢文庫芸術祭、大磯芸術祭、群馬県中之条町ビエンナーレなど各地から芸術祭に関わっている方達が駆けつけました。
地域住民発アートイベントが、今後の地域発展にどのように貢献するかについて長時間の議論がなされました。

実行委員が私と同年代ということで特に印象に残ったのが『中之条ビエンナーレ』です。
この群馬県中之条町では、以前から伊参スタジオ映画祭など文化イベントに積極的に町が取り組んでおり注目はしていたのですが、近年また進化を遂げていたことに改めて感銘を受けました。
内容については、私の拙い文章で説明するよりも、HPをご覧いただくか、できれば実際に足を運んでいただくのが一番かと思います。

 [中之条ビエンナーレ]〜温泉+故郷+アートの祭典〜
 http://www.nakanojo-biennale.com/
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総合プロデューサーの山重さんは、「アートで飯を食うことは日本では厳しい。作家が作家として生きられる場所をつくりたかった。また、群馬の過疎化はものすごい勢いで進んでおり、地域興しという面でもアートを通じて実現したかった」などと話されていました。
実際、イベント開催後は人口の倍以上の観光客がこの街を訪れ、地元住民の方にも深い理解と協力をいただいているそうです。

さて、逗子では、葉山芸術祭の協力企画としてGW期間中に『第2回逗子海岸映画祭』が行われました。

 [逗子海岸映画祭]
 http://cinema-caravan.com/?category_name=zushi-beach-cinema
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主催の長島源さんは、「子供たちが逗子海岸で映画を見て楽しかったなという思い出がつくれたらいい。」などと話されていました。 
「映画で街と人をつなげていきたい」というコンセプトのもと、赤字覚悟で設営や運営スタッフもその道のプロの方達が主催目的に賛同しほぼボランティアで支えています。


私はこうした文化イベントというのは、「人と人とが感動を共有すること。そしてその感動のシェアをした場所に人々が愛着と誇りをもつこと」が大きな価値だと捉えています。

クラシックのコンサートをハコの中で鑑賞するのではなくて、映画を海岸で見る。

美術館で絵画を見るのではなく、まちなかがギャラリーのようになっている。

例えば、逗子海岸映画祭でいえば、家族と友達と見知らぬその場に居合わせた誰かと、映画を見て感動をシェアした海岸は、いつもの海岸ではなく特別な海岸になったはずです。

このように、まちなかでのアートイベントを通じて、地域の魅力や誇りを内外の人が発見し、人と人とのつながりが生まれ、こうした取り組みが連鎖的に広がっていくことが今後の持続可能な都市を目指す上で必要不可欠だと考えます。

前述の中之条ビエンナーレのスタッフは実は、逗子市民でした。

逗子での場所が見つけられないとのことで中之条町へ移住されたとのこと。中之条町では芸術家を嘱託職員として採用し、「バス停や街灯のデザインを作れ」と入内島町長がリーダーシップを発揮して、まちの随所に画一的なまちづくりからの脱却を強く意識していると聞きました。

まず考えるより、走り出す。

そして、走りながら考える。

このことを彼らから教わった気がします。

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 (左から産形さん、長島、浦部さん、山重さん、源さん)
posted by nagashimayuri at 00:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月13日

福島リポート

5月3日より5日間、福島県猪苗代町、磐梯町、会津若松市、会津美里町、下郷町にある12か所の避難所を回り、直接被災者の方の声を聞いて回ってきました。
 原発から20キロ圏内の警戒区域に住む住民の多くが実は同じ福島県内の会津地方に避難しているからです。

チェックリストをもとに、避難所の食事、衛生状況や、衣類などの物資の配給状況、医療・介護状況など・・を伺っていきます。


色々お話しを伺う中で、今悩んでいること・・報道では知れない本音の話などもうかがうことができました。

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会津若松地方自体は震災による甚大な被害状況はないことから、電気、ガス、水道などインフラはもとより、医療・介護環境も比較的恵まれている状況です。

そのため、現状の生活自体に不満を抱いている方は少なく(一部避難所ではお風呂に週2回しか入れないという避難所もありましたが)、むしろ将来的なこと、住んでいた街に戻れるのか、自宅はどうなってしまうのか、仕事がみつからないなど将来にわたっての不安が大きいことを感じました。

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(病気の老犬を車内で飼っている方も・・)

とくに、小さなお子さんを持つ保護者の方からは、「子どもは親についていくしかない。子どもの安全のためには住む場所を離れるしかないが、子どもが友達と離れ離れになってしまうことなどを考えると悩んでしまう」など、私も同じ年くらいの子どもを持つ親として身につまされる思いでした。とくに「子どもが将来結婚する時に原発近くに住んでいたということで結婚の障害になるのではないか」というお話を伺ったときは、言葉が出てきませんでした。

そんなこと考え過ぎではないか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも福島県の去年のお米が売れなくなったり、福島県出身だということでいじめにあったという報道がされるなど、福島の方達がどれほどナーバスになり、絶望感を抱いているか、しっかり受け止めなくてはいけないと改めて思いました。

食器が足りないときはカップ麺の空容器を洗って使ったり、何とかやりくりして毎日を過ごしたとのことで、これから暑くなる季節に向け今は夏物や女性の下着、化粧品などが不足しているとのことです。逗子市での救援物資の受け入れは終了してしまいましたが、やはり品目を替え引き続きやるべきだと思います。

今後、テレビや新聞から被災地の報道が少なくなっても、被災者の方の生活が安定したものになるのに後どのくらいの月日がいるでしょうか。
どうかみなさんが想像力と優しさを失わずに、助け合いの気持ちが続くことを祈っています。

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また、今回被災地を巡り感じたことは、自治体間協力ということがとても大切だということです。

例えば、今回福島県内、特に原発20キロ圏内の自治体同士で、楢葉町は芦ノ牧温泉、大熊町は東山温泉、富岡町は磐梯熱海温泉と、地域で割り振りが行われ、被災者の受け入れや、支援が行われていました。

逗子市は現在、群馬県渋川市の伊香保町と唯一防災協定を結んでいますが、普段から防災協定を多くの市と結び連携、協力を図ることでいざというときに、助け合うことができます。県や、国の調整を待っているとどうしても救援体制のスピードが遅くなる恐れがあります。

現実に会津地方で、被災者の受け入れが最も早かったのは楢葉町と防災協定を結んでいた会津美里町です。

会津美里町役場には現在、楢葉町の仮役場が置かれ約60人の職員が詰めているということです。

受け入れサイドの自治体やホテルも、費用負担の問題や経営が採算ベースに乗るか(被災者を受け入れているホテルや旅館は一律一人5000円で3食の提供を承諾し客室を提供しています)、課題を抱えています。

ある旅館の経営者の一人からは逗子に戻ってからも、新たに被災者を受け入れるかどうか、別の切り口で被災者を支援できないか相談を受けてもいます。

現地の人たちとは今後も連絡を取り合い、私の出来うる限りのことは全力を尽くす考えですが、一方で今回把握した普遍的な課題などは、地元逗子の市議会で改善要望に生かしていきたいと思います。

posted by nagashimayuri at 12:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月02日

まちづくり成功の方程式とは?(馬車道商店街から)

防災関連の記事をUPしてきましたが、今日は逗子市のまちづくりについて書きたいと思います。


横浜市馬車道商店街の六川理事長に魅力的な商店街づくりの方策についてお話しを伺ってきました。
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まちづくりの成功のヒントは一言でいうと「きめ細かいニーズに対応すること」です。

通常は商店街の景観統一など「うちはセットバック(壁面後退)できないから」などと、個別の事情で頓挫するケースがほとんどです。

しかし、馬車道商店街は可能な限り個別の事情を優先させつつ、相手と丁寧な折衝に時間をかけることで合意形成を図りました。また理事長自ら自社ビルを3m半セットバックし範を示すことで商店街の皆さんに理解を得られるようにしました。

馬車道商店街は歴史的にも古い商店街で、アイスクリームの発祥の地でもあります。
昭和50年にその後全国のモデルとなる「まちづくり協定書」を締結し、商店街自らがビル壁面の後退や外壁の色彩、広告物の大きさや配置などのルールを定め、運用をしてきました。

当時、紳士協定でしかなかったまちづくり協定がなぜ実効性をもったのか?

一つの理由としては、建築確認に地元商店街の合意書の添付を義務づけ、合意がとれていないものについては、市が差し戻したということです。
今では、行政手続き法違反になりこのようなことはできませんが、当時の地域住民と市との連携プレーもあり機能させることができました。

合意がとれない、つまり、少数の反対意見や要望を無視せず、個別丁寧に事情を斟酌しつつ、最大公約数をまとめていったことが成功へのカギだったのです。

その後現在までこのまちづくり協定書は改定を重ね、生きたルールとして進化し続けています。
(平成20年にはさらに細かい数値を入れ込んだ地区計画を施行)


六川理事長と実際に商店街を歩きながら、商店街のコンセプトづくりに始まり、合意形成のやり方、フラッグやガス灯プロムナードの有効性についてなどなど、逗子市でも応用できそうなまちづくりのヒントの数々をご教授いただきました。

例えば、馬車道商店街の協定書を参考に整備されたイセザキモールでは、街中にむやみにベンチを置くことが法律で禁止されていたため、木にぐるりと腰をかけられるような台を設置し、あくまでこれは木の台ですということで警察の許可をもらったとのことです。


魅力的な街並みは自然発生的にできるものではありません。

横浜馬車道商店街でも綿密な計画と、一軒一軒に気が遠くなるような時間と労力をかけて丁寧な協議を重ねた結果、今の美しい景観のまちなみがつくられています。

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今後の逗子のまちづくりにこうした先進的な取り組みから学んだことを活かしてまいります。

posted by nagashimayuri at 17:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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